鍼治療に行ってきました。
頻繁に行くわけではないですが、腰痛持ちでたまに腰が悲鳴をあげると行くようにしています。
と言っても、これまで鍼なんて痛そうだし、と思って敬遠していて行き始めたのは今年に入ってからです。
通っている治療院が良いのかもしれませんが、腰に関しては鍼に行くとすぐに良くなります。
これまでマッサージ、整体みたいなものには行ったことがあったんですが、あまり相性が良くないのか揉み返しなどがひどくてあまり効果がないと感じていました。しかし鍼は相性が良かったのかよく効きますねえ。
それにしても鍼治療ってなんでしょうね?鍼を挿すことでなぜ痛みが取れるのでしょうか?お灸なんかもそうです。ツボってなんなんでしょう?東洋医学は神秘に満ちています。
西洋医学なんかはなんとなく理屈でわかるじゃないですか。腫瘍がある、じゃあ切り取ろう。実に明快です。
でも東洋医学は違いますよね、例えば腰痛に効くツボが腰だけでなく脚とかお尻にもあったりする。昔の人はどうやってそれを知り得たのか?レントゲンすら無かった遥か昔に。
もちろん長い時間をかけ、膨大な患者の実例から経験的に導き出してきたんでしょうから、それなりに効果があるとみるべきなんでしょう。それにしても不思議です。
まあ医学の東西の違いについて語れることなんて僕にはないんですが、鍼治療を受けながら僕がぼんやり考えていたのは、医学(東西問わず)が今ほど発達していない昔、例えば江戸時代とかそれ以前でもいいけど、その昔の人々と現代人では「幸せ」にどんな違いがあったんだろうということ。
当然今ほど医学が発達していなかった江戸時代では(当時の人たちにとっては)訳のわからない疫病が流行ったり、大火事が起きたり、大飢饉で食べるものに困ったり、それはもう現代人から比べれば大変だったんじゃないかと想像するんですが、じゃあ今はどうなんだ?と。
もちろん医学は進歩し、ちょっとやそっとのことでは人は死ななくなったかもしれない。
でも今なお新たなウイルスが突如蔓延し、世界ではテロが頻発し、飛行機は毎年のように墜落する。この国では年間凡そ3万人もの人が自ら命を絶つ。これもやっぱり生き抜いていくのは大変な時代なんだと僕は思う。それはどちらが大変だとかいうものではないんじゃないか、そう思います。
同じように幸せだって比べられないというか、やはり現代から見れば大変そうな江戸時代に於いてもやっぱり幸せな瞬間はあったと思うんです。江戸の町人だってなんとか村の田吾作だって、笑って泣いて、恋をして、青春があって、出会い別れを繰り返し人生をその人たちなりに必死に生きてたんだと思います。それは現代だって変わらない、200年後もきっと変わらない。
幸せに大きいも小さいもないし、上も下もない。
そんな当たり前のことを鍼治療を受けながらぼんやり考えていたのは、きっと頭の間違ったとこに鍼を刺されたせいだろうな。