僕ロニクル 〜ゆるゆる、シンプルに生きたい男の年代記〜

30代男の日常を徒然なるままに。旅、仏像、文房具、手帳、シンプルライフ、料理なんかに釣られます。

見仏記のすすめ 

今週のお題「人生に影響を与えた1冊」

 

たまにはお題にのっかってみようかと。

人生に影響を与えた一冊なんていうとどうしてもお堅い本をイメージしがちですよね。僕ももちろんそうでした。聖書とか?7つの習慣とか?道をひらくとか?

でも自分の読書人生をふと振り返ってみるに、この一冊だと胸を張って言い切れる本が全然思い浮かばなくてですね。

「この本のおかげで一生の仕事を見つけられました」とか、「この本のおかげでどん底から這い上がることが出来ました」とか。そういった劇的な変化を自分にもたらした本一冊みたいなのはあるのかなあ?なんか思い浮かばないなあ。

もちろん様々な本との出会いすべてが今の自分を形成しているのは間違いないんでしょうが、一冊選べと言われても・・。

と思ったんですが、ふと思い出しました。一冊ありましたよ。

 

この本がなかったら今の職業についていないとか、この本のおかげで生きる指針が見つかったとか、そういった類の本ではないです。

でもこの本を読んだことで僕に新しい趣味が加わり、それはぼくの人生にゆとりと彩りを確実に増やしてくれたと思っています。

 

それが・・・ 

見仏記<見仏記> (角川文庫)

見仏記<見仏記> (角川文庫)

 

 見仏記です。

 

全然お堅い本ではないです。まあみうらじゅんといとうせいこうが作者という時点でおわかりかとは思いますが。

 

全く見仏記を読んだことのない方のために簡単に説明すると、この本は仏像鑑賞(=見仏)をするためにお寺を巡り、その紀行文をいとうさんが、絵をみうらさんがかかれています。仏像鑑賞と言っても堅苦しいものではなくて、みうらさんいとうさんの独自の視点でグッと来るものを仏像からあるいはその道中からみつけだし、面白おかしく表現している旅行記です。

 

学術的な見地からでもなく、宗教的な立ち位置からでもないところから、仏像をゆるく楽しもうというのがコンセプトです。

 

特にみうらさんに関しては子供の頃から仏像が好きでスクラップまで作っていたというから筋金入りの仏像マニアです。子供の頃のみうらさんにとって仏像やその世界観は、怪獣映画の怪獣やウルトラマンのようなヒーローのようなものと同列にあったようです。子供の頃に(特に男の子に)よくある「なんだかよくわからないけどかっけー」といった感覚で仏像を観ていたんですね。それはおそらく今でも根底の部分では変わっていないんだと思います。

 

例えば仏像の世界では東西南北にそれぞれ配された四天王像や、主役である薬師如来を真ん中に脇侍として日光・月光菩薩を左右に配置して薬師三尊などと呼んだりします。

複数の仏像を集めて配置に工夫を凝らすことで仏教的世界観を表現するのですね。

それをみうらさんはロックバンドに例えたりします。極楽浄土からやってきてお堂でコンサートを開いていると。バンドもボーカルが真ん中で左右にギターとベース・・・みたいな配置がありますよね。それと同じです。だからみうらさんにとっては仏像はエンターテイメントなんですよね。

 

一見、見仏なんていうとおちゃらけて聞こえるかもしれませんが、そうではなくてみうらさんなりに真っ当に仏像を楽しんでいるんだと思います。

 

この本を読んで、ああ自由な人達だなあと感じました。

それまでの僕はお寺に行く事自体はきらいではなかったですが、まあ旅行の観光スポットのひとつ、くらいの認識でした。もちろん行けば荘厳な建物や、優美な庭なんかをみて楽しんでいたとは思います。でも鑑賞の対象として仏像を見たことはなかった気がします。観光に行った先に仏像があれば手を合わせてお参りはしていたとは思いますが。有名なお寺をお参りして、盲目的にありがたいような気持ちになっていただけだったのかなあと。

 

それが見仏記を読んだことでもう少し能動的にお寺と言うか仏像を楽しんで良いんだという気持ちになりました。当然のことながら仏像一つ一つそれぞれに違いがあります。この仏様はイケメンだな(見仏記的にはイケ仏といいます)、とかこの四天王に踏んづけられている餓鬼が愛くるしい顔をしているな、とか如意輪観音がセクシーだ、とか。よく見るといろんなことをに気が付きます。違いに気がついてくると段々と面白くなってくるんですよね。

 

仏像を面白おかしく観たり、楽しんだりするのは仏教を真剣に考えてらっしゃる方からしたらなんとも無礼な話なのかもしれません。

 

実際見仏記が始まった当初は取材を断られることも少なくなかったようです。まあお寺からしてみたら、訳もわからずお寺を茶化されでもしたらたまらないですから当然といえば当然です。でもそれからおよそ20年、一貫して楽しんできたお二人は今やお寺の方から来て欲しい、待ってたと言われるような存在にまでなってしまいました。すごいことです。真剣に愉しめばいずれそれは認められるということでしょうねえ。

だから一つのきっかけとして、見仏記のような楽しみ方で仏像に親しんでいくのもまあ悪いことではないのかなと思っています。

 

見仏記を読んでも、お二人もきっかけは軽い感じだったのかもしれない。でももうずっと見仏記を続けていくうちにお二人も結構変わってきているんじゃないかと思うんです。最近の新TV見仏記なんかを観ているとコメントがなんだか悟っているというか、仏教的にすら感じます。別に怪しい宗教的なわけではないんですが、ごく自然に仏教的な考えを取り込まれたような、そんな印象を受けます。まあおふたりともいい年になって丸くなってきただけの事かもしれませんが。

なので見仏記をきっかけとして仏像に親しんだ先、もっと深く知ろうとすればより見識が広がるかもしれませんね。

 

とまあ、見仏記の影響を受けていまではすっかり仏像鑑賞が趣味になってしまいました。まだまだ初心者ですが、これが奥が深くてどんどんとハマっています。

 

この本から見仏という趣味を得られたことの他にもうひとつ大事なのが、自由な考え方を学んだことですね。仏像を古臭い、堅苦しいとしか捉えられなければ見仏などということをしようとは思えません。ある一つの物事を色々な角度から見つめることでそこに可笑しみや美点を見出すというのは生きて行くうえで大事なスキルではないかなと思います。物事を一面からしか捉えられないとそこには必ず争いや諍いが生まれてしまいます。もっと柔軟に自由に頭を柔らかくしていきたいものですよね。そしてゆるゆる面白おかしく生きられればそれで充分じゃないかと。

 

そういったことにも気付かされた見仏記、うん、間違いなくぼくの人生に影響を与えているじゃないか。

  

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