高野山の霊力が強すぎたか風邪をひいてしまいました。
ブログを毎日書くのってなかなか大変ですね。
高野山大師教会でありがたいお話を聞こう
ここで阿闍梨さまのありがたいお話をきいて
菩薩十善戒を伝授される「授戒」という儀式に参加しました。
阿闍梨さまとは簡単に言うと指導的立場にある僧侶のことですかね。
今回お話ししてくれた阿闍梨さまは結構ご高齢のようでした。
きっとお偉い方なんでしょうね。
なんかそれだけでありがたい気持ちになってしまいます。
十善戒とは
十地経(華厳経十地品)第二「菩薩住離垢地」で勧められる、菩薩としてなすべき十の良いことをすることの戒め。
身業
不殺生(ふせっしょう) 故意に生き物を殺さない。
不偸盗(ふちゅうとう) 与えられていないものを自分のものとしない。
不邪淫(ふじゃいん) 不倫をしない。
口業
不妄語(ふもうご) 嘘をつかない。
不綺語(ふきご) 中身の無い言葉を話さない。
不悪口(ふあっく) 乱暴な言葉を使わない。
不両舌(ふりょうぜつ) 他人を仲違いさせるようなことを言わない。
意業
不慳貪(ふけんどん) 異常な欲を持たない。
不瞋恚(ふしんに) 異常な怒りを持たない。
不邪見(ふじゃけん) (善悪業報、輪廻等を否定する)誤った見解を持たない。
(Wikipediaより)
こういった戒めの事だそうです。
不綺語。中身のない言葉を話さない。ブログやめなくちゃいかんですね。
授戒でプチトリップ体験
誤解されるとまずいですが、決してこれは危ないオカルトな儀式ではありません。
至極真っ当な行事であって、一般人である観光客に
少しでも真言密教の修行というか教えの一端を知って帰って欲しい
との意図からやられていることだと思います。
ただなかなか普段体験できないことだったのでプチトリップなどと大袈裟に言ってみました。
受付を終えて、予定の時間になると大きな部屋に通されます。
部屋は暗くロウソクのわずかな光だけ。
簡単な説明の後、若手(?)のお坊さんと阿闍梨さまが入室されます。
真っ暗なのでもちろん顔もみえません。
それがまず神秘的な雰囲気を醸し出してるんですね。
始めにお坊さんに合わせて「南無大師遍照金剛」と何回も唱えるのですが、
真っ暗な中でロウソクの火を見つめながら一つの言葉を唱え続けるのって意外と、
なんて言ったら適切かわからないですが「アブナイ」気持ちになります。
若干頭がボーッとしてきて、真っ暗なはずなのに視界が急に明るくなったり、かと思えばロウソクの火さえ見えないほどに暗くなったりといった錯覚に陥りました。
もうちょっと続けてたら幻覚でも見えてくるんじゃないかなと思うほど。
こういうのがきっとカルト教とか洗脳とか霊感商法で悪用されるんでしょうね。
僕自身はどちらかというと冷めた人間なので、オカルトとか迷信みたいなものは
ほとんど受け付けない方なんですが、そんな人間でも視界を奪い、
ある状況を設定してやれば簡単に人は惑わすことができるんだなー、
と「南無大師遍照金剛」を唱えながらぼんやりと感じていました。
全然、集中していないですね。これでは修行にならんです。
そのあとは阿闍梨さまのお話を聞きます。この間も常に真っ暗。
話す内容はいつも同じかどうかはわかりませんが、参加した人の日常のストレスを少しでも軽減してあげようといった優しさ溢れるお話でした。
その後、菩薩戒牒というお札を阿闍梨さまから直にいただきます。
(グループの場合は代表者のみ、人数分いただけます。)
お札の中には先ほどの十善戒が書かれています。
こうして30分位で授戒は終わります。
日常を忘れて、リラックスした気持ちになれて良い体験でした。
生活に瞑想を取り入れるのもいいかななんて思いました。
高野山の旅を終える
こうして今回の高野山の旅は終わりを迎えました。
名残惜しいですが、とても印象深い良い旅になりました。
観光的に言えば、巡るスポットは結構コンパクトにまとまっているので回りやすいかなと思いますね。1泊2日でも十分に回ることができました。
勿論まだまだ行きたいところはたくさんありましたし、今回ご縁のなかった仏像とかもありますのでまたいつか再訪したいですね。
ちなみに四国八十八箇所巡りの最後にはこの高野山奥の院に詣でることで満願成就となるそうなので、是非ともお遍路を終えてまた高野山に戻ってきたいです。いつになることやらですが。
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